アヤナザのポルトガル通信

小さな輸入会社のポルトドポルト(略:ポルト)を経営するアヤナザのポルトガルあれこれ。

ポルトガルの歴史にちょっと感じたこと

2018年初めての投稿になります。明けましておめでとうございます。

 

私たちは年末年始、ポルトガル人の友人にオススメされてモルディブへ行ってまいりました。

 

 

なんとモルディブは16世紀にはポルトガルに統括されていた国。何かポルトガルが残して行った面白いものなどあるかな〜?という気持ちでワクワクの出発でした。

 

 

到着とともに、ポルトガルは16世紀にこんな素敵な場所にも足を伸ばしていたのか!人々はさぞ感動しただろうな!と、ポルトガルに思いを馳せているのも束の間、

 

現在のモルディブはザ・リゾート地であり、リゾートがある小さな島々へすぐに飛んでしまうため、現地の文化や習慣を垣間見るということはできず、私たちは完全リゾートしかない異動先の島で、ただひたすら青い海を見つめ本を読むという数日が始まりました。

 

(小型プロペラ機での移動)

 

 

忙しない日々から解放され、青い海と空、白い砂に囲まれて過ぎる時間はパラダイスそのもの。

 

ご飯はアラブ系とアジア系が混ざっていて、辛いのが大丈夫な日本人ならば、結構食も合うのではないかな?という場所でした。

 

 

一応、ムルリムの国なので、豚肉やお酒は禁止されていますが、リゾート島についてしまうと、何でもOKという感じでした。

 

 

それでもやっぱり16世紀にはポルトガル支配下にあったモルディブ共和国の人々のポルトガルへの意識が気になったため、こんな機会はあまりないと、色々現地のスタッフの方に聞いてみたり、本を読んで調べてみたりしたのですが、出てくる内容はなかなかの内容のものばかり。

 

私たちが勉強する「世界史」はやっぱりヨーロッパ目線の歴史であり、幸せに暮らしていたindigenousの人々はポルトガル人が到着することによって彼らの「世界征服」的なことに勝手に巻き込まれただけ・・・という側面が見えてしまい、色々な思いが頭に浮かびました。

 

もちろん今は観光が資源となっているモルディブの人たちにとって外国人はお金を運んで来てくれる大切な人々ではありますが、モルディブの人々は色々な悲しい歴史的背景を乗り越えここまできたことにしんみりしてしまい、日本人でいるとあまり感じないけれど、あのポルトガルの大繁栄の裏には犠牲になった国々がたくさんあったんだな・・・と考えさせられました。

 

歴史は歴史だし、新年早々暗くなる話題は避けたいので、詳しく聞いたことはここには書きませんが、

 

日本は日本独自の強い文化がそこにあったため、ポルトガルが日本に来た時にも、影響は受けたものの侵略されずに済んだと思うと、数百年経った今、侵略とは違う良いカタチとしてポルトガルと良い関係を築けているのは奇跡だとさえ思えました。

 

そして、ポルトガル人に絶対に見ろと何度も言われた映画「サイレンス」も、見終わった後は日本とポルトガル好きな私たちとしては痛々しい気持ちになりつつ、結局あのような時代があったからこそ今の日本とポルトガルも仲良くできるのだな。と。

 

 

 

映画サイレンス

(この映画はキリシタン弾圧を描いたアメリカ映画ですが、ポルトガルでも結構人気で、絶対見た方がいいとポルトガル人の友人何人かに言われて見ましたが、日本人としては少々モヤッとした気持ちとなる終わり方でした・・・)

 

16世紀にはポルトガルが貿易をしていたものが黒人奴隷だったり、その人たちに採らせた金や砂糖だったりしたわけだけれど、21世紀の今ポルトガルから輸入されるものは美味しいものや歴史ある美しい工芸品というのを見ると、幸せな世の中になってくれたな・・・と感謝してもしきれない思いになります。

 

ポルトガルの大繁栄の裏に苦しんだ国があるのも事実ですが、日本もポルトガルも、このように栄光も衰退も両方経験してきた国だからこそ、WABISABIが分かる深い国民性、そしてなぜかポルトガルに行くと懐かしい気持ちになったり、お互いに通じる何かを共有できる国民同士になったのではないか と遠く離れたビーチで思いました。

 

どの国にもぞれぞれの歴史があり、文化がある。それでも今、こうやって貿易を通じてお互いの国のいいものを交換できているのは本当に素敵なことです。

 

今年もそんな感慨深い国「ポルトガル」と「日本」の間に立ち、幸せな貿易に携わって行けることを感謝しながら頑張っていこうと心から思ったモルディブ滞在での一コマでした。

 

 

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